日常
精神力の問題?
薬を飲んで改めて寝たのが5時頃、次に目が覚めたのが7時半。
ゴミ出しをしなくてはと急いで片付け、朝食を済ませる。
本当は洗濯をするつもりだったのだが、全く体を動かす気になれず。
結局また横になり、昼頃に一度目を覚ますものの昼食を食べる気分ではなく。
ふと眼をつぶったと思ったら、15時過ぎまでワープ。
慌てて身支度を整え、病院へ。
到着した時にはちょうど看護師さんがおり、昨日と同じ方であった。
#どうも2連勤のあと休みというパターンのような気がするが割とどうでもいい話だ
様子は良くも悪くも昨日と同じ、朗報としては入浴をさせてもらえたらしい。
いや、昨日姉とも話したのだが体も拭いてもらえていない感じだったということで今日は聞こうと思っていたのだ。
そんなこんなのやり取りを済ませ、以降はまったりといつもの感じで。
とりあえず初期のバタバタも済み、平日ということもあり特に見舞客もなく。
相変わらずの不調なので、18時過ぎには切り上げて病院を出る。
帰宅後洗濯機を回しながら、姉に定時連絡など。
さらに2日は来られなさそうということであったが、まぁ家のことが優先なので無理しないようにと伝えておいた。
身体的な負荷は激減した上に、散々寝ているのだがこの体調の悪さはなんだろう。
テンションだけでなんとか持ってきたようなこれまでが、異常だったということなのだろうか?
2010年3月16日 44x1 | 個別ページ | コメント(0)
不調なり
F1を見終わったあと雑用を済ませて寝たのが2時半過ぎ、8時頃に目が覚めるものの全く動けず。
お腹は空いた気がするが起きて食べる気にもなれず、そのまま寝る。
次に起きたのが14時近くというのが、なんともはや。
それから食事を済ませ、雑用をこなしてからシャワーを。
結局病院に向かって家を出たのが16時半近く、着いたのが17時前。
ナースステーションは引き継ぎのようで忙しそうで、とりあえず声をかけず暫し母の様子を見たり。
んで適当なところでもう一度出向き、聞いてみる。
微熱が続いているのも込みで特に変わりはないということで、良いのか悪いのか。
ついでということもありちょっと聞いた事案があったのだが、これは頭を抱える結果に。
まぁ大きい病院だとこういうこともあると納得するしかないし、ここでごねても何にもならない。
コーヒーを飲んだり身の回りを片付けたりで、19時ちょい前に病室を離脱。
エレベータを待っていたら、先程話した担当の看護師さんが上がるようでやってきた。
二言三言話したが、なんとなく前回の入院時にも話していたような気がしないでもない。
帰り道はいつも通り、昨年も桜の定点観測などしていたような気がする。
帰宅後は最低限の連絡を回して、夕食を。
まだ寝る状態ではなくやることはたくさんあったのだが、何故かきつい状態に。
1時間だけ仮眠と毛布を被ったら、次に気付いたのが28時半近く。
寝直すとしよう。
2010年3月15日 44x1 | 個別ページ | コメント(0)
あれやこれや
なんとか寝入ったのが4時近く、7時に起きたがやはり眠い。
そんなにたくさん飲んだ気もしないのだが、水分も足りていない感じ。
眠る前に結構水を飲んだはずなのだが、まぁこんなものか。
適当に朝食を済ませ、9時過ぎに病院に向けて出発。
伯父から10時に見舞客を連れていくので対応せよ(意訳)と言われていたので、その関係だ。
例によって母の状態確認、昨晩からは安定しているようで安心。
んで10時を回ったわけだが、一向に人は来ない。
結局伯父が到着したのは10時半過ぎ、人に上から物を言っておいて何をしているのかと。
おまけに自分はすぐに帰ってしまい、なんだか訳がわからない。
余り話したくない人だというのは前に書いたと思うが、良い方に取っておこう。
ちなみに細かい突っ込みどころが山ほどあったが、黙っておくのが大人というものだろう。
実際の見舞客は、従兄(亡き父の長兄の次男)であった。
恐らく15年以上会っていなかったはずで、色々と話したり。
私には男の兄弟がいないので、兄のような感じで結構好きな人であった。
しばらくは母の状態など見てもらい、ロビーに移動してお茶をしながら話を。
んで病室に戻ってもうしばらく、12時過ぎに昼食ということで院内のレストランへ。
ここは妙に高級で個人的には余り好きではないのだが、日曜ということもあり他が開いていないのだ。
結局2人でうな重を注文、色々話しながら食べた。
最初から私が支払うつもりだったのだが、なんだかんだで伝票を奪われた。
ごちそうになるならもっと安いものにしたのに、と思いつつもごちそうさまと申し上げる。
姉が到着するまでには1時間以上あったので、結局帰られるということになり見送る。
その後予定通りの時間に姉到着、別の来客がありびっくり。
昨晩連絡を取った親戚であり、急遽来てくれたようだ。
しばらく話したが、私はちょっとした用事があり14時半には撤収を。
好天だが昨日よりは気温が低い、でも暖かいというなんとも微妙な感じ。
帰宅後所用を進めていたのだが、一段落したところで一気に眠気が。
これは続かないと判断して、仮眠して目が覚めたらちょうど1時間後。
あと淡々と作業して、なんだかんだで夕食の時間に。
先日しこたま作ったカレーをサクッと食べて、あとは古雑誌などをまとめる。
本日の晩(実際は月曜朝)が廃品回収なので、それに合わせたのだ。
随分溜めこんでいたとは思ったが、実際まとめてみると半年も放置していたようで。
というわけで、とんでもない量をまとめて持って出る。
ついでなのでちょっとスーパーまで買い物に出て、すぐ帰宅。
F1のTV放送までもう少しなので、待機しておこう。
生放送で見られればどんなに良いかと思うが、まぁこればかりは仕方ない。
2010年3月14日 44x1 | 個別ページ | コメント(0)
久々ブレイク
ぼんやりしているうちに寝て(推定3時)、起きたのが7時半で急いでゴミ出しを。
昨日とは別の種類で、連日は面倒だが仕方ない。
朝食を済ませて少し横になり、あとは家の片付けなど。
週末なので面会時間は10時からなのだが、まぁ急いで行くこともないと昼頃に出動。
病院内のローソンでパンなど買いつつ、病室へ。
まずは昨晩からこちらの状況確認、どうやら朝方に39度台の高熱を出したらしい。
医師にも連絡して点滴とクーリングで対応、程無く37度台まで下がったとのこと。
意識レベル等は特に変わらず、ということで一息付く。
サクッと軽食を済ませ、まったりとしながら母に声を掛けたりあれやこれや。
しばらくはそんなことをしていたが、間が持たなくなってきた。
今日は姉が来ると聞いていたので、状況を確認するためメール。
すると、今日は家族4人で車で向かっているとのこと。
ちなみに、昨日は姪の上の方の子が中学の卒業式だったので姉は来られるわけもなかった。
しばらくで全員到着、母を囲んであれやこれやとしばらく。
随分経った頃に一度ロビーへ移動、少しお茶をしながら皆で話す。
子供たちとゆっくり話すのも久々だったので、おじさんモードで色々と。
下の子も携帯を持ったということだったので、番号とアドレスの交換などしてみたり。
病室に戻りまた母に声を掛けたりしつつ、気付けば18時過ぎ。
そろそろ引き上げるということで、義兄は会社の用事を済ませに出た。
#勤め先がこの病院のごく近所なのだ
19時に迎えに来るということになり、それまではそのままで。
で、そろそろ出るという頃に久々に母の目が半分くらい開いた。
子供たちをしっかり見ている様に思え、まぁ意識はないわけだが少しは良かったかな。
私もこのあと予定があったので、一緒に病院を出る。
1階で皆と別れ、私はいつも通りに徒歩で帰宅。
しばらく雑用を片付けて、いつもの某氏ともコンタクトを。
どうやら遅くなりそうということで、どうにでも動けるように21時目標で秋葉原へ移動。
ヨドバシカメラを端から端まで見て回り、欲しいものはたくさんあったがこらえてみた。
結局22時までに某氏は仕事(休日出勤)が切り上げられず、私は一度マクドナルドへ。
ボチボチ出られそうとの連絡を受け、この後の動きについて打ち合わせ。
なんだかんだで落ち合ったのが23時、近所の和民に移動してサクッと飲む。
前回表でまともに飲んだのが12/19であり、ほとんど3ヶ月ぶりである。
別の場所も提案されていたのだが、居酒屋のつまみが恋しかったので私のリクエストなのだ。
結局24時半近くまでやって撤収、秋葉原の駅でお別れ。
当然というかなんというか、私の向かうのはJAMである。
もう終電で帰るという考えはなく、と言っても明日も早いのでタクシーで帰ると。
久々の深夜帯に入店、驚かれたり色々反応はあったが基本的に「いつも」の感じ。
隣の「超」常連氏と色々話し、途中で相席などしつつ。
この時勢になかなか思い切った話などありつつ、基本的に楽しく進行。
結局私はハイネケン3杯とちょっと控え目、別に飲めなかったわけではなくオーダーのタイミングがなかっただけだ。
撤収したのが26時頃だったか、駅前のロータリーでタクシーを拾って田町まで。
ちょっと想定外の回り方をされて3メーターほど余計にかかったが、良いことにしておく。
帰宅後は身の回りのことをして、結局随分遅くなったが徹夜とは比べ物にならないのでOK。
2010年3月13日 44x1 | 個別ページ | コメント(0)
慌ただしい日
とりあえず7時過ぎに起床、ゆっくり朝食を取りたいところだがゴミ出しを優先。
いや、介護に追われている状況で冷蔵庫の中がえらいことになっていたのだ。
怪しい状態になっている食材は、もったいないと思いつつも処分。
というか、どう見ても食べられないものが過半数だったのには目をつぶっておこう。
おかげさまで冷蔵庫の中はすっきり、適当に朝食を。
まだ体調はいまいちなので、昼食までは休憩。
部屋を片付けるなどやることは山積みなのだが、これまで疾走してきたので少しはいいだろう。
余り動いていないので、軽く昼食を取って家を出る。
平日の面会時間は一応14時からなのだが、家族ということもあって余り気にしていなかったり。
部屋に着くと封筒が着いており、先日区役所で申請したものであった。
開けて看護師に聞くが、やはりこの辺は受付に行かないとダメらしい。
入退院受付に行くとすぐに処理してくれて、ついでということで差額ベッドの承諾書に署名。
#標準は6人部屋なので4人部屋は差額である
戻ると今度は歯磨きがあるか聞かれ、ないと言うとマウスウォッシュ的なものが良いということなので売店に走る。
買って戻るとすぐに使ってくれて、母も少しはすっきりしただろうか。
その他おむつのことなど相談、これは明日持ってくるということで手を打った。
ようやく一息ついてコーヒーを空けようと思ったら、来客。
従姉(母の姉の長女)であり、私は何年ぶりに会ったのか正直思い出せない。
#母には会っていたはず
色々話をしつつ、伯母に伝えてもらうべく状況を細かく説明。
またしても昔話などしつつ、あれやこれや。
先日からずっとそうなのだが、私を労う言葉が続いてこそばゆい。
自分では正直胸を張って言えるようなことは全くできていないと思っており、なんとも。
しばらく話して送り出し、冷めてしまった缶コーヒーで一服。
そんなことをしていたら、今度は一昨日も見えた叔父の奥さんが。
叔父は会議で今日は来られないということで顔を出してくれたようだが、奥さんも忙しいはずで。
こちらでもあれやこれや、小一時間話して私自身の体に気を付けるよう言って帰って行かれた。
伯父(亡き父の兄)が来るということは聞いていたのだが、この時点ではまだ。
結局17時近くにやってきたのだが、なんとも身も蓋もないことを言ってくれて心の中でぽかーんとしてしまった。
まぁ父も母も姉も、義兄すらも変わった人だと認識しているくらいの人なので仕方ないか。
しかもあっという間に帰ってしまい、何をしに来たのやら。
長居されても正直話したい人ではなかったので、まぁ良いことにしておこう。
夕方までの看護師さんは色々注文も多かったが、的確に動いて連絡もキッチリしていたので好印象。
入れ替わって引き継ぎなどもして、19時前に切り上げて病院を出る。
いつも通りに徒歩で帰路へ、途中スーパーで食材を仕入れる。
その足でいつものローソンにも寄って、Amazonの荷物を回収。
本日のブツは、一品目が機動戦士ガンダムUC オリジナル・サウンドトラック(AA)。
これは入荷遅れということで、本日の到着となった。
あとは、機動戦士ガンダムUC(ユニコーン) 1 [Blu-ray](AA)だ。
ということで、どの道本編を見るまではサントラを聴く気はなかったので問題ない。
帰宅後はちょっとやることが多かったので、結局夕食にありつけたのは22時半。
いや、まぁカレーの仕込みに時間がかかったのは確かだが。
そんなこんなをしているうちに日曜にややこしい話が入り、対応することに。
その話自体は良いのだが、どうしてそれを上から目線で言われるのかが理解できず。
#言ってきたのは例の伯父
色々余計なことを考えると精神衛生に良くないので、適当なところで寝ておこう。
2010年3月12日 44x1 | 個別ページ | コメント(0)
激・不調
結局眠ったのは昨日に続き明け方、10時に目を覚ますものの起きるに至らず。
お腹は空いたが食べるのすら面倒で、そのまま二度寝。
次に目が覚めたのが13時近く、以下同文。
結局まともに動けたのが15時近く、食事を取ってシャワーを浴びて家を出たのが16時過ぎ。
歩いている途中で姉からメール、病院にいるがもう帰らなくてはならないとのこと。
洗濯物の処理について聞かれたので、私がやると返答。
ついでなので母の状態確認、少し発熱しているなどの連絡が。
私が病院に到着した時には姉は既に帰っており、私は母と二人きり。
しばらく話しかけたりあれやこれやしていたが、聞いていた通りに今日は反応が薄い。
指は結構な力で握ってくるものの、これは反射のような気がするので余り参考にならないか。
後回しにすると確実に忘れるので、すぐに洗濯物だけ回収。
しばらくコーヒーを飲みつつ過ごし、特に見舞客も来ないまま19時半頃に撤収。
ちょっと怪しい寄り道をしつつ、帰宅したのは昨日と同じくらいの時間。
体はしんどいのだが、とりあえず明日病院に行く時には着替えを持っていきたいので洗濯だけは頑張る。
終わって干して、力尽きて横になって一日が終了。
2010年3月11日 44x1 | 個別ページ | コメント(0)
一段落
やはり結局上手く寝付けず5時近くに寝て、9時過ぎに目を覚ます。
とりあえず朝食を済ませ、しばしまったりと。
気を抜いたら寝ていたようで、1時間強ワープしていた。
昼頃に適当にタイミングを合わせて身支度、家を出る。
なんとなく気が向いたのでマクドナルドで昼食、んで病院へ徒歩。
以前に書いた気がするが、地下鉄への出入りと電車の待ち時間を考えると所要時間に大差がないのだ。
#ちょうど1年前も入院していたのでその時かな?
音楽を聴きながら歩けば気分転換にもなるし、天候さえ大丈夫ならそうしておきたい。
13時半に姉と待ち合わせていたのだが、15分以上前に到着してしまった。
なのでコーヒーを買って時間潰ししていたのだが、時間になっても現れない。
と思ったら、柱を挟んで2人で気付かずにいたようで。
と言っても姉は5分前位に来たようで、私がコーヒーを買いに行った時に来たのかなと。
そんなこんなで病棟へ、一応行き先のフロアは聞いていたのでそちらへ直行。
ナースステーションで部屋を聞こうと思ったが引き継ぎ中、4人部屋というのは聞いていたのでそちらへ直行。
父の時から同じ病院だし母だけでも3回目(だったはず)の入院、病院内の様子も熟知しているのがなんとも。
程無く母の部屋発見、様子を見るが相変わらずの状態のようで。
声をかけると少しは反応するし、手足(右だけだが)も結構動いている。
余り時間も経たぬうちに看護師が来て、色々と確認など。
声をかけたり手を握ったりあれこれしてみるものの、ほとんど反応がないのが切ない。
お茶を飲んだりしつつしばらく過ごし、一応ということで叔父の来院予定を確認してみる。
前日に連絡した際に、今日見舞うという話は聞いていたのだ。
メールを投げたのだがすぐに返信、なんと叔父は既に1階に着いているとのこと。
奥さんを待っている状態だったらしく、16時半過ぎに2人が到着。
2人とも顔を見たり声を掛けたり、んで電話では話していたがその後の状況なども伝えたり。
日も暮れかけた頃に、ちょっとロビーに移動してお茶をしながら話す。
近場に住んでいることもあり一番付き合いの深い親戚であり、まぁ話も深くなるわけで。
楽しい思い出やら辛い話やら色々していたら、あっという間に19時近くなってしまった。
姉は家のことがあるわけで、促していたら叔父たちも帰るということに。
一気に全員いなくなるのも母に悪い感じがしたが、私も結構調子が悪いので退散。
ちょっとした用事を済ませたりしていたら、結局帰宅後に夕食を済ませたのが23時過ぎ。
どうしたものかとやっていたが、なんとなく寝入れずに時間が過ぎていった。
2010年3月10日 44x1 | 個別ページ | コメント(0)
無力・脱力
何だかわからないが、7時半のアラームが鳴る前に目が覚めて粛々とゴミ出しを済ませる。
面倒だし母に気を使うこともないので、パンとスープで適当な朝食。
動かなければと思いつつも、やはり気持ちの問題か二度寝してしまった模様。
家の電話のコール音で目覚め、1コールで切れたのであれ?と思って携帯を確認すると姉からだった模様。
もうすぐ到着するということで、私も自分の身支度をサクッと整えた。
大体荷造りは終了していたのだが、姉のチェックで少し足したり引いたり。
姉が午後余り長くは居られないので、急いで行動開始。
まずは区役所へ行き、国民健康保険の限度額適用認定証を申請。
朝のうちに(二度寝前に)電話で確認していたおかげで、迅速に手続き完了。
物事は仕込みが大切だということを、今更ながらに実感。
なんともありがたいことに病院までは徒歩圏内なので、すぐに移動して到着。
救急部の病室なので一手間かかるのだが、幸か不幸か色々慣れているのですぐに入室。
母と対面、状態は昨日と変わっていないようだった。
看護師さんにいくつか確認、大体想像通りの内容である。
12時半に医師から説明があるということで、そちらに移動することに。
待ち時間に姉と色々話すが、まぁ景気の良い話にはなるわけもなく。
大体時間通りに呼ばれて診察室へ、担当は巡り巡って乳癌が見付かった時の主治医だった。
既に大筋の説明が済んでいることは知っているようで、核心から話を始める。
簡単に言ってしまえば、あとは静かに見送るだけということだ。
少しずつ心の準備はしていたつもりだし、昨日の話でわかってはいたがこうはっきり告げられると流石にめげる。
数日中に云々ということはないはずだということだが、どれだけという話もできないと。
以降延命処置についてなど話して、昨日の流れ通りそのまま送るということになった。
経緯など色々話したのだが、この状態でどうやって自宅で生活していたのかと驚かれた。
良く頑張ったと声をかけられたわけだが、私自身は自分の無力さに絶望していた。
一つだけ良いことといえば、母が苦痛などを感じていないであろうこと。
そして、恐らくはそのまま逝ってくれるであろうこと。
その他いくつか言葉を交わして、説明終了と相成った。
病室に戻ったが、病棟に移るのはまだまだ後ということだった。
このまま居ても、母と話せるわけでもない。
また救急部の病室ということで、なんとなく居ることで迷惑をかけそうな気がしたのは姉も同じだったようだ。
結局、13時過ぎには撤収することとした。
昨日通所先から搬送されたということで、車椅子と着替え等一式を預かってもらっていた。
近所なので、そのまま歩いて施設まで。
心配されていたわけだが、全てを告げる気にもなれず礼を述べて荷物を回収して退出。
どうしようかと思ったが、結局地下鉄で三田まで戻ることにした。
主のいない車椅子を押している状況が、なんともいたたまれない。
車椅子と荷物を置いて、ちょっと遅めの昼食を姉と。
当然色々と話すわけだが、もう前提は決まってしまったので先を見てのことを。
私自身のことも心配されたりしていて、その辺も少し。
食べ終わって姉を田町まで送り、私は帰宅。
ぷっつりと緊張感が切れてしまって、何をする気にもなれず。
音楽だけは掛けてみたものの、耳に入らない。
出来たはずのことをしなかったこと、母に対して辛く当ったこともあったことなど後悔が渦巻く。
柄にもなく涙が止まらなくなり、しばらくで泣き疲れて眠ってしまったようだ。
電話のコール音で目が覚めて、出てみると伯母からであった。
既に叔父から情報が行っていたようで、様子を聞かれたのできちっと伝わるよう気を付けて話した。
その後件の叔父にも連絡、話はできないということをわかった上で明日顔を見に行ってくれるとのこと。
両方で私の心配もされていたのだが、なんだか申し訳ない気持ちにしかならず。
何をする気にもならないわけだが、一応お腹は空くようでパスタを。
食べたあとはまた脱力モード、しばらくは何もできなかった。
明日は昼過ぎに病院に行くつもりなので、ゆっくり寝ておこう。
とはいえ、安眠できるとも思い難いのだが。
2010年3月 9日 44x1 | 個別ページ | コメント(0)
終わりの始まり
数日書いていた通りの状況で母は眠ってばかり、そして私は不眠気味。
とはいえ週に一度のデイケアの日なので、なんとか起きて動き出す。
母は全然しっかりした目覚めでなく、一応食事を食べさせると口にはするものの色々おかしい。
どうしたものかなと思いつつも、入浴はしたいだろうと時間には準備終了して迎えの車に。
姉のスケジュールが合わず仕方ないので、自分の通院も今日にしていた。
そんなわけで恐らく睡眠不足であろう目眩に苦しみながら、田町~渋谷~高津と移動して病院へ。
待つだろうと思っていたが、10分も経たずに呼ばれてびっくり。
ここのところ不眠であること、恐らくは自分のありように疑問を持っている故であろうことなど話す。
割とサクッと診察を終えてしまう先生なのだが、珍しく色々と言葉をかけてくれた。
かなり周囲に心配はされていたのだが、表に出るくらい様子が違っていたのだろう。
とりあえず薬はいじらず、心持ちをしっかりということで終了。
会計も割とあっさり、薬局も特に待ったりすることなく終了。
バタバタしており私自身は朝食も取っていなかったので、11時半前と少し早い時間だが昼食を。
サクッと済ませたあと溝ノ口~川崎と移動、ちょっとした用事を済ませてすぐ駅に戻る。
川崎~新橋と移動、母のショートステイに必要な書類を受け取るためまた病院。
こちらの用も済ませ、ネットショップで買おうとした物が瞬殺で困ったため秋葉原へ。
タムタムに行ってみると、どうやら件のブツは予約受付中。
さっさと予約票の記入を済ませ、とりあえず用事は終了。
調子が悪いのでスルーしようとも思ったが、次にいつ来られるかわからないのでJAMへ。
ハイネケン?などと聞かれつつ、カプチーノを頼む。
手の込んだことをしてくれてありがたいなと思いつつ、一口口を付けたところで携帯に着信。
ケアマネさんからで、母の通所先から緊急連絡があるとのこと。
こちらから掛けてみると、バイタルチェックで血圧が高く意識レベルも低いとのこと。
常駐の医師と看護師がついてくれているが、病院に搬送の必要がありそうだという。
通所先は先の病院の近くなので、とりあえず新橋に戻ることとする。
貧乏性なので一応カップを空けて(残すと失礼だし)、急いで会計を済ませて離脱。
駅に向かいながら姉に連絡、その他色々と処理しながら動く。
程無く新橋に到着、携帯で状況確認をしながら施設へ向かった。
既に救急車が到着して救急隊に引き継ぎ中、搬送先について聞かれたので依頼を。
条件付きではあるが受け入れOKということで、内容承諾して搬送。
近所なので5分かそこらで到着、すぐに処置室へ。
それからしばらくは待機モード、各所に連絡をしつつ待つ。
結局到着から3時間近くでようやく検査結果が出たとのことで、処置室へ呼ばれる。
画像も見せてもらったのだが、かなり酷い脳梗塞だった。
部位としては脳腫瘍の周囲であり、偶発的である可能性もあるが脳腫瘍がトリガーになっている可能性もあると。
まぁ後者が確率論としてはわかりやすい話であり、恐らくそうなのだろう。
ここ数日という新しいものではないということで、心当たりを思い起こす。
2~3週間前位から反応が色々おかしかったのは、姉と共通の意見だった。
そしてここ2~3日は甚だしくおかしかったわけで、脳梗塞であれば色々腑に落ちる。
どうして早くSOSを出さなかったのかと自責の念にとらわれつつ、続けて説明を聞く。
しばらく後に実際の担当医師が来るということで、またしばらく待機。
最新情報を発信しつつ、暫し座っておく。
基本的に母の状態の全てを把握しているのは私だけであり、デイケアで出ている時だけ例外か。
そんなわけで、悶々としてしまう。
予告通りの時間に呼ばれ、乳腺・内分泌外科の医師に面通しを。
丁寧に説明をされたわけだが、それが事の重大さを余計に浮き彫りにするわけで。
端的に言ってしまえば、もういつ心肺停止に陥ってもおかしくないと。
色々と説明を受けた上で、延命処置について問われた。
姉に確認の必要があると前置きした上で、私は何もしないのが母の為だと思うと伝えた。
以降明日からの動きなど確認しつつ、説明終了。
入院手続きをしたが、既にカウンターは閉まっており仮の手続きだけ。
しばらく待った後、救急部の病室に移動。
ここは仮の居場所であり、明日以降病棟に移るということだ。
見掛け上母は寝続けている状態、呼びかけても全く反応なし。
このまま居ても出来ることもないし、体調不良に加え心身ともに負荷のかかる状況で動き続けて疲労困憊だった。
というわけで、看護師さんに後を任せて帰宅の途へ。
道中は正直頭が真っ白、正確には明日持っていくべきものについては考えていたかな。
帰宅して姉に電話、ちょっと取り込み中とのことで掛け直してもらうことに。
夕食がまだだったので、残りもので適当に。
母も一緒に食べるはずの物だったので、非常に多い量だったのが悲しい。
食べ終わって電話待ちの間に、空気を読まない宅配便が到着。
先日オーダーしていた、F1のテクノロジー(AA)である。
事が早く進むのは良いのだが、こういう時は余り喜べない。
程無く姉から連絡、非常に重要なことなので丁寧に聞いたことを再現しつつ話した。
感じた限りでは医師の意図に近い表現をしたつもりであり、一応伝わったと思う。
色々話したが、まぁここですっきりすることはできないわけで。
そもそも詳細の話は明日聞かないとわからないので、その辺の調整を。
姉も動けるということで、入院中使うもののクロスチェックの意味で一度家に来てもらうこととした。
その後叔父に電話、母のすぐ下の弟ということもありずっと心配してくれていたので。
包み隠さずにわかっていることを全部話す、こんな時でも私のことを気遣ってくれるのがなんとも。
明日持っていくものでパジャマが足りない(上下揃っていない)ことがわかっていたので、洗濯をして干した。
ここで完全に気力が尽きて、いけないとは思いつつも少しアルコール注入。
飲み終わって毛布をかぶったのは覚えていたが、すぐに寝たようで次に気付いたのが28時。
ゴミ出しをせねばという場違いな思いで目覚ましをかけつつ、自分の薬を飲んで寝直した。
2010年3月 8日 44x1 | 個別ページ | コメント(0)
差し引きゼロもしくは結局マイナス
母は例によって20時頃から熟睡だったのだが、肝心の私が寝付けないという久々の事態。
今置かれている状況について少し考えてしまったら、迷宮入りしてしまい。
ようやく寝付けそうになった5時過ぎに母がごそごそしだし、しばらく後にまたしても緊急事態に。
連日のトラブルに私もパニック気味、姉に電話したりあれやこれや。
母は朝食中に寝そうになったり、おとなしくなってくれたのはある意味ありがたいのだが弊害も大きい。
書いた通りの食事の大変さが一点、あとは移動(トイレとか)に使うパワーとか睡眠のコントロールとか。
食後座椅子に座った母は寝ていたのだが、私は休むどころではなく慌ただしく家のことを。
先週といい今週といい、この手のトラブルの時に悪天候というのは非常にきつい。
一段落した時にはすでに昼、昼食も適当にやりたいが結局大仕事に。
午後も母は寝てしまい、夜に備えるためもあり水分補給などもあり頻繁に起こすがなかなか。
夕方にようやく少しだけ自分の時間ができ、Amazonのカスタマーサービスへの問い合わせなど。
夕食の支度を始めて、手を放せるような料理だったのでDAPのデータ整理など。
いくらなんでもそれはないと自分でも思うようなタグ間違いを見付け、修正して再転送とか。
新しくエンコードした曲も転送して、プレイリストも更新して明日の外出準備はOK。
正直デイケアに行ってくれている時くらいは休みたいのだが、姉のスケジュールの関係で動かなくてはいけないのだ。
なんとなく自分の状態が悪くなってきていることを感じているので、とっとと休むとしよう。
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