日常
寄る年波
3時前には寝入ったはずなのだが、目が覚めたら14時を回っているではないか。
なんだこりゃ?という状態なのだが、それどころではないのでとりあえず身支度をして家を出る。
銀行の用事があったので、15時前には色々済まさなくてはいけないのだ。
入金して振り込み、別の入金をして振り込み。
あとは今後の話なので、とりあえず安心。
と思って時計を見たら15時2分前、危ない・・・
これが済んでしまえば、今日は特にすることもないのでまったりモード。
夕食を挟んで、色々音楽を聴いたりしつつ過ごして終了。
調子を戻したいので、早目に寝ておこうか。
2010年4月 5日 44x1 | 個別ページ | コメント(0)
爆死
5時半から仮眠、8時半に一次アラームだが起きられず。
まぁ困る案件でもないのでスキップすることとして10時の二次だが、これも全くダメ。
というか起きられる気がせず、とにかくそのまま寝続けることに。
結局起きたのは15時近く、なんだかなぁ。
夜通しの無理が効く年齢ではなくなったのか、単純に疲れと気の緩みから来たのか。
とにかく非礼をしたことには変わりないので、あとでメールすることにしておく。
日曜と言うこともあり、今日は出来ることが余りない。
家の片付けをしたり、花の水の具合を見たり。
淡々と過ごして、夜を迎える。
折角なのでF1を見ようとしたが、その前にTwitterで結果を見そうになってしまい焦る。
#いつもの某氏も同じトラップにハマりかけた模様
観戦終了後は、適当に横になる。
2010年4月 4日 44x1 | 個別ページ | コメント(0)
色々あり過ぎ
いつも通り(?)2時頃就寝、今日が本番のゴミ出しのため7時半には起床。
いや、今日は資源プラスチック回収日なのだがこちらの方が強烈に多かったので。
#燃えるゴミは週2回なので割となんとかなっていた
朝食を済ませたあとはしばしまったり、結局今日姉一家と寺に行くことになったので某イベントはキャンセル。
残念ではあるが、まぁ仕方ないところだ。
14時に副住職と約束していたので、13時頃には姉たちも来ると思ったが結構遅い。
結局少しあとに現地集合にしようと電話があったので、すぐに家を出た。
#身支度は当の昔に整っていたので
どうなるかと思ったが、結局私の方が先に到着したらしく。
とはいえそう待たぬうちに、姉たちも到着。
まずは墓参り、今の様子を記録にも残しておきたかったし。
なんだかんだとやっていたら、もう14時まで5分前になってしまった。
頃合いを見て伺って、お出でになるのを待つ。
改めて礼を申し上げて、あとは四十九日の打ち合わせを。
概略は話していたのだが、まぁ詰めである。
出席についてこの2日聞いて回っていたのだが、回答保留の方もいらしたので仮で。
まぁ現実的にみえる方と言うと2人しかいないので、そこまで考えておけば大丈夫だろう。
このあと法要もあるようなので、長く引き止めることはせずまたの連絡を約束して終了。
んで帰宅、お茶を入れたあとは非常に生々しい話になる。
ぶっちゃけて言ってしまえば金勘定の話であり、正直色々と問題があるので。
あれこれとやって、解決したわけではないが最低限の話がついたのが19時近く。
いつもの某氏と会う約束をしていたのだが、遅れてしまう結果になり申し訳なかった。
ダッシュで田町~秋葉原と移動、ゲームで時間をつぶしてくれていた某氏と合流。
店を全く考えていなかったのだが、飲み放題があるということでうおや一丁へ。
全く母の話をしないわけでもなかったが、基本的にはお気楽にF1やらアニメやらの話を。
適当に2時間ほどやって、ついでなのでゲームセンターでプライズを少し狙ったり。
私は相当不発だったのだが、某氏が私の欲しいブツをゲットして恵んでくれた。
#感謝!
そのままJAMへ、某氏はここでお別れとした。
入店してみるとびっくりするような混雑で、何が起こったのかと思った。
どうしようかと思っているうちに、常連衆が受け入れ態勢を作ってくれたのでそちらへ。
んでちょっとしたお誘いを受け、ありがたく乗らせてもらうことに。
今日は土曜だが深夜営業がないので、ちょっとした番外編をやるということなのだ。
というわけで閉店までやって、移動。
素敵なロケーションで集まり、怪しい集会を。
ここで何があったかは伏せるが、まぁ楽しい時間であった。
そのまま授業参観(?)をして、29時近くにさすがにガス欠でリタイア。
各人とお別れして、秋葉原~田町と帰宅。
一応少しだけ仮眠して、動くつもりで横になる。
2010年4月 3日 44x1 | 個別ページ | コメント(0)
一段落
なんだかんだで寝入ったのは3時、ゴミ出しが山ほどあるので7時半には起きる。
大量のごみを抱えて処理、帰宅後は朝食を済ませてまったり。
当面の急ぎの用件は済んでおり、ボチボチやっていく状態である。
細かい書類仕事を片付けたりしつつ、開店時間を過ぎていたのでいつもの書店へ。
#いつものと言いつつちょっと久々か
本日は、あっという間に打ち切りと相成ったあねどきっ(3)(AA)である。
サクッと読んで、ぼんやりしていたらあっという間に昼が来た。
昼食後はいくつか電話連絡、んで数日ぶりの病院である。
母の入院保険も出るということで、入院証明書を書いてもらうのだ。
所定の書式が必要なので、届けに行ったという次第。
仮診察カードが出るまで少し待ったが、おおむね問題なくすぐ終了。
いつも通りに徒歩で帰り、あとはのんびりである。
少し寝落ちしたりしつつ夕方、18時を回ったのでまたしてもAmazonの荷物回収でいつものローソンへ。
本日は、ラブプラスプロテクトケースDSi マナカ(AA)・リンコ(AA)・ネネ(AA)とSeventh Heaven(AA)である。
前半は言わずもがな(笑)、CDは先日買った2ndアルバムが良かったので遡ったのだ。
帰宅後適当に夕食を仕込み、適当なところで横になる。
2010年4月 2日 44x1 | 個別ページ | コメント(0)
少し減速
1時過ぎ就寝だったか、7時半にはお目覚め。
適当な朝食を済ませ、相も変らぬ雑用に追われる。
まだまだフォローの必要がある案件が多く、色々と大変だ。
母の生命保険のことやら、それに付随して必要となる戸籍謄本のことやら。
母の本籍は都城市なので、結構面倒なのだ。
こちらで死亡届を出したので、大体の見込み通り4/10辺りに出せそうだと。
それに合わせて依頼をすることとして、あとは細かい話を。
昼食後少し余裕ができて、眠気も抜けていなかったので1時間半ほど仮眠を。
起きてからはまた元通りに稼働して、夕方には今日の予定は終了。
というわけで、出来ればと思っていた久々のROBO太行き。
田町~代々木と移動、19時過ぎころだかにROBO太に到着。
一部事情をご存知の方もおられて、大丈夫だということだけは伝えておく。
ここで辛気臭い話をするつもりは一切なかったので、平常営業にて。
21時半くらいだったかまで楽しくやって、引き上げた。
何故か総武線で秋葉原へ行ってしまったのは、まぁそんなこともあるということで。
当然行き先は、昨日に続いてのJAMである。
適当にやって、23時のクローズはあっという間なのですぐに引き上げ。
秋葉原~田町と移動、いつものローソンに寄ってAmazonの買い物を回収。
本日は、3週連続のお祭りの締めである電撃ラブプラス Vol.3 姉ヶ崎寧々(AA)なのだ。
帰宅して開封、なんとなくだるいので適当に横になる。
2010年4月 1日 44x1 | 個別ページ | コメント(0)
一息付く間もない
とりあえずたくさん寝ようと思ったが、結局7時には起きてしまった。
以降ごたごたと片付けごと、まだまだ休むわけにはいかない。
とはいえこれまでほど慌ただしくもないので、ある程度マイペースで。
昼頃まで洗濯などして、昼食後にあちこち連絡を取り始める。
なんだかんだで結構失礼もしていたりするので、改めてお礼の電話をするのだ。
ただ田舎の方なので大丈夫と思っていたが、意外にというか大半がつかまらず。
一巡したところで一度諦めて、棚上げになっていた車椅子の返却を。
包括支援センターまで押していって、世話になった方は席を外されていたのでお礼を伝えてもらうことに。
帰宅後はまた色々と、昨晩のうちに生活物資は発掘したのだが見栄えが良くないのでしまったり。
#実は祭壇の裏に着替えなどが全部入っていたので難儀した
んで夕方になってちょっと時間が取れたので、サクッと秋葉原へ。
目的地はJAMで、妖精さんの卒業を見送るのだ。
特にイベントと言う感じではなく、通常の延長線上で。
とはいえ折角なので、オムライスだけは頼んでみた。
少し話をして、今後とも頑張ってと声をかけて終了。
長居するわけにもいかないので、18時半には帰宅。
すぐに電話を再開、今度はあちこちつかまり始めた。
そんなこんなのうちに姉から電話、ちょっと驚くようなことが起きていたことを知る。
まずは私からお詫びを申し上げ、少し話を保留してもらうよう頼む。
取って返して葬儀社に連絡するが、この対応が最悪で久々に炸裂してしまった。
結局その人では処理できず、父の時も世話になった方が間に入ってくれた。
誤解が残るのは嫌なので、こちらの意図ははっきり説明して理解してもらうよう努力。
結局この話が終わったのが20時半、いい加減疲れるというものだ。
連絡ができていない中でまだ寝ていなさそうな所に電話して、とりあえずこの日は終了とした。
なんというか、余計なところで疲れてしまっている気もするがこんなものか。
2010年3月31日 44x1 | 個別ページ | コメント(0)
桜の下でお別れ
6時半には目が覚めてしまい、とりあえず平服のまま借りっぱなしの会場へ。
ろうそくに火を灯し、線香をあげてしばらく1人で考え事を。
8時半過ぎに姉到着、とりあえず私から着替えるので自宅へ。
とりあえず姉には待機してもらい、ついでなので昨晩書いた原稿を渡しておく。
んで着替えて戻ったのだが、ほとんど手が入っていなかった。
数点言葉遣いという面で赤ペンが入っていたが、それは私も迷っていた部分ばかりで。
というわけで、入れ替わりに私が待機しつつ原稿をざっと眺めて頭に入れる。
人に書いてもらうと無理だが、自分で書いたものはそれなりになんとかなるのだ。
10時過ぎに副住職(今日は1人だ)が見えたので、また挨拶に。
ざっくばらんに色々話される方なので、まぁ色々と気が楽である。
そして11時、告別式が始まる。
話し合いの結果、今日は私も普通に席に着くこととしたのでそんな感じで。
始まってしまえばあっという間であり、程無く最後の別れの時間に。
一通りの儀式が済んだところで、簡単ではあるが一生懸命考えた挨拶を。
そして出棺、今回は私は担ぎ手には回れないのでこれは見るしかないわけで。
昨日と打って変わっての好天の中(寒いのは変わらずだが)、霊柩車に乗ることに。
副住職まで入れて3台の車列で、桐ケ谷斎場まで進行。
随分混雑する道を通るのだな、などと思っていたら斎場手前で見事な桜並木。
母は本当に花が好きだったので、同乗していた姉と良かったと話す。
斎場は猛烈に混んでおり、うちと同じような形で日程を決めた方が多いのかなと思ったり。
いよいよ炉に入るというところ、ここもなんとか泣かずに堪える。
焼いている間は控室で過ごすこととなり、少しばかりだがビールなども注いでみたり。
色々な意味で私は心配され通しであり、なんとなく申し訳ない気がする。
そしてお呼びがかかり、母の遺骨と対面することに。
先程までの姿と全然違うわけで、なんとも現実味がないというかなんというか。
お骨を収めて葬儀自体は終了、そのままの足でごく近所に移動して会食を。
まぁこちらは基本的に段取りに乗って動けばいいので、余り困らない。
帰りの足などの打ち合わせが少しあったが、事前に話を回してあったのでそう問題にはならず。
1時間ほど母の話なども交えながらやって、またしてもノープランでお礼のあいさつにて締め。
姉・姪2人・義兄の父母と私が、料理店の車に。
あとはタクシー3台に分乗して、田町に戻ることに。
帰りの飛行機は最終便と聞いていたが、気を使ったのかとりあえず線香だけあげさせてくれと。
というわけでバタバタと人が入って出て、気付けばあっという間に終了。
本当はここで全て投げ出してしまいたいのだが、そうは行かないわけで。
お金とか色々なことがあり、ここでしっかりやっておかないと収拾がつかなくなるのだ。
義兄・姉・私と3人がかりだったので、そう大変でもなかったが神経は使う。
なんやかやで結局20時頃までかかったのか、子供たちも疲れているはずなのでとっとと帰した。
私も疲れたので、適当に食事を取って入浴は明日に回して休むことに。
2010年3月30日 44x1 | 個別ページ | コメント(0)
最後の夜
1時頃に床に就いたが結局寝入ったのは3時半過ぎ、んで7時半前には目が覚める。
まぁ眠くないと言ったら嘘になるが、色々やることはあるので。
すぐに会社に連絡、金曜深夜のことだったので当たり前だがここまで伝えられなかったので。
それからザクザクと家の中を準備して、一応顔を洗って姉たちの来るのを待つ。
いや、礼服はあったのだが合うYシャツが1着しかなく。
他にも靴下も1足しかなかったり、とどめは何故か靴が合わなくなっていた。
そんなわけで買い出しに行かなくてはならないので、その辺のやりくりである。
10時半頃に姉一家到着、しばらく支度をして11時半頃に後を頼んで私は家を出る。
田町で色々一気に調達できそうなところが思い当らなかったので、サクッと新橋まで。
洋服の青山でYシャツ・靴下とついでにTシャツも調達、あるかと思った靴はなくて困る。
ニュー新橋ビルには馴染みがあるので、確か靴屋もあったはずと行ってみると確かにあった。
サイズを相談するとちょっと・・・という感じになったが、1サイズ下で試してみることに。
#ちなみに最初に言ったのは28cm
どうやら普通に履けそうなので、さっさと支払いを済ませて箱は処分してもらい帰路へ。
30分で片付けるつもりだったのだが、結局帰宅したのは1時間近く経過した頃。
色々余裕がなくなっており、入棺が15時という目安だったので慌てる。
昨日に続いてみんな揃っての早食い大会、終わって礼服に着替える。
一応喪主なので、何をおいてもしなくてはいけないことだ。
ネクタイが久々で、長さの調整がなかなか上手く行かなかったのはご愛嬌。
#結び方は昔毎日鍛えていたので体が覚えている
設営の状況は随時義兄が見に行ってくれていたが、ちょっと遅れ勝手の模様。
なんだかんだで、結局お迎えが来たのが16時頃だったろうか。
粛々と納棺が進んでいくわけだが、さすがに最後に収める時は涙が出てしまった。
1人でいる時はともかく、人前ではなんとかしようと思っていたのだが。
納棺が済んで少しで、住職と副住職も控室としている自宅に到着しているということであいさつに。
色々と話しながら、今日明日のことについてよろしくお願いを。
一応自分で考えてお二方にも相談したのだが、一般の会葬の方にも礼を尽くしたいので焼香台近くに控えることとした。
寒い中立っているわけでしんどくないわけはないのだが、背を向けたり遠くからというのも失礼かなと。
それは良いことと言われ、そうすることとして後は姉に頼んで私は式場へ。
席次第は既に段取りを付けて義兄と叔父に話してあったので、上手いこと座ってくれていた。
#まぁ両家のどちらをたてるのかとかややこしい話があるのだ
んで私は予定通りに、入り口近くで待機。
18時の定刻に通夜開始、以降は流れるように。
なんだかんだで色々な方が来てくれて、ありがたいことである。
19時につつがなく終了、会食前に一度表に出てまだいらっしゃる方々には挨拶を。
会社関係でも随分心配されていたようで、特に同期が随分気を揉んでいたようだ。
色々あるがとりあえず大丈夫と伝えてもらうよう頼み、あとは周囲にも声をかける。
んで会食、ちょっと会場のスペースの目論見が合っておらずその影響で料理も余り気味。
その辺は上手く調整しながらやって、なんだかんだであっという間に21時近く。
締めということで、ノープランであったがとりあえずの一声で挨拶を。
アドリブが効かないので結構きつかったが、まぁなんとかなったのかな。
それから仕出し屋の撤収を見ながら、姉一家には着替えに戻ってもらった。
元々は姉と2人で線香番をするつもりで、私はずっとその気でいた。
随分長いなと思っていたが、姉が降りてきた。
母には悪いが、やはりいる人間の体調を優先するべきだと。
まぁその先には来てくださった方へ申し訳が立たないというのもあるのだが、そういうことで今日はここを閉めようと。
思うところは大いにあったわけだが、確かにかなりきつい状態ではあったので同意。
いや、昼前にも一波あったし会食中にも来たのだが気分がかなり悪かったのだ。
私がビールをちょろっとしか飲んでいない(体が受け付けない感じだった)と言えば、わかってもらえるだろう。
もう一つ言えば、姪たちもかなり辛い日々を過ごしているわけで休ませたいと。
そんなわけで明朝また来ると母に告げて、家に戻る。
余った料理を折り詰めにしてあったので、それを適当に分配。
4人を送り出した後、とりあえず風呂を沸かす。
この寒い日に吹きさらしの場所で立ち尽くしていたので、体が冷え切っていたのだ。
んで入浴しながら作文の時間、父の時はこんなに苦戦しなかったと思うのだが告別式での挨拶が浮かばないのだ。
文例のコピペだけはしたくないので、母のあった姿など考えながら。
結局風呂を上がって先程の折り詰めを突っつきながら、ようやくまとまってきた。
今回は姉に添削してもらいたかったので、一応走り書きで紙にまとめておいた。
#驚いたことに父の時は空で考えて全部そのまま喋ったらしい
そんなこんなで気付いたら、折り詰めを3つも空けていた(笑)
ちと食べ過ぎの感もあるが、食べずにぶっ倒れるよりは数倍マシである。
日付が変わるかどうかの頃に、休むこととした。
2010年3月29日 44x1 | 個別ページ | コメント(0)
時間との戦い
何時に寝て何時に起きたのか正直不明、恐らく2時間睡眠くらいだったのではないか。
昨日の積み残しの片付けを順次進め、そのうちに姉たちも合流。
15時に病院出発というのはFixなので、そこに間に合わせるようにとにかく急ぐ。
ただやることが多過ぎて(私の物が多過ぎ)、大変な騒ぎに。
ベランダにあって表に出しても問題ないものは移動、入れ替わりにベランダにダーッと物を出す。
布団やシーツなども準備、昼食もあったが食べ始めたのが13時半という状態。
当たり前だが落ち着いての食事とはいかず、早食い大会に。
なんとか間に合うように14時過ぎに家を出て、またしてもタクシーにて病院へ。
霊安室にてまたしても母と対面、手筈通りに15時に病院を出ることに。
母に同乗するのは私だけ、あと姉と姪2人は叔父の車で。
義兄が留守番している家に帰着、結局3/8の朝に家を出たっきりここまで来てしまった。
母を横たえて色々と準備、あとはまったりとと言いたいところだがそうも行かず。
親戚関係の宿泊についてもめて、相変わらずの伯父の使えなさに正直落胆。
余り遅くならないうちにということで、順次送り出して22時頃に1人になったのかな?
母がこの家にいるのも今晩が最後なので、本当はずっとろうそく番でもしたかったがやはり体調優先。
結局1本燃え尽きるまで起きていて、休むこととした。
2010年3月28日 44x1 | 個別ページ | コメント(0)
現実の認識を
心拍がなくなったと電話が着信したのが昨日23時28分、恐らく10分経たずに病棟に到着したはず。
ナースステーションで別室に案内され、母に対面。
まぁ聞いた通りであり、既に手の施せる状態ではない。
というか、姉と私の合意で無為な延命行為はしないということを取り決めていたので。
5分ほどは茫然と手を握っていたと思うが、後に延ばすと色々厄介なので死亡確認を依頼。
結局この時間が死亡診断書に記載されるわけで、2010年3月26日23時47分ということになった。
姉にも連絡が行っているのは聞いていたが、一応現状確認のため電話。
医師も看護師も一時退室して、しばらくは母と私だけに。
とにかく色々な思いが渦巻くが、形にはならない。
姉達が到着するまで1時間ほどかかったと思うが、そんなに経ったとも思えず。
既に点滴の管やら酸素マスクは外してもらっており、普通に対面だ。
姉も相当辛かったようだが、姪2人が見ていられない状態だった。
ずっとやり取りしていた仲の人が天に召されるというのは初めてのことのはずで、恐らくはかなりの衝撃だと。
ただ、これは多分すごくいい経験になるはずだと思う。
私は父方も母方も含め祖父母と余り話したこともなく(遠方なので)、亡くなったと言われても実感がなかった。
時間的にどうかとも思ったが、一応叔父(母のすぐ下の弟)と伯父(父のすぐ上の兄)には連絡。
しばらくはそのまま居たわけだが、この後のことも考えなくてはいけない。
色々な支度を看護師さんにお願いして、我々はカンファレンスルームへ。
ここで泣き続けていても仕方ないので、少しは軽い話題なども話したり。
結局1時間ほど経ったろうか、ようやく呼び戻された。
#週末の深夜で手薄なはずなので時間がかかるのは仕方ないのだ
薄化粧をされた母はきれいなもので、これまでの苦しみが嘘のようであった。
そんなこんなをしているうちに、この時間だと言うのに叔父も駆け付ける。
もう霊安室の方にも連絡が行っており、程無く迎えが来る。
荷物もまとめて全員で移動、父が亡くなったのが2002年の10月だからほぼ7年半ぶりだ。
こんなところの勝手を知りたくもないが、ある程度わかっているのが悲しいところ。
安置されて線香をあげて、私が色々事を進めねばならないので話を。
どうやら前回と同じ葬儀社がやってくれるようで、ちと思うところはあるが伝手もないので任せることに。
友引が絡んだり、父母とも宮崎の人間なので親戚の出てくる都合など考えて日程をまず決める。
結局通夜を29日、告別式を30日ということとした。
細かい打ち合わせは翌日ということとして、時間も時間なので引き上げることに。
本当なら誰かしら残ってやりたいところだが、倒れては元も子もないので詫びながら退出。
結局家に帰り着いたのは4時半前というところだろうか、それどころではないのだがゴミはあるので5時にはゴミ出し。
さすがにしんどいので、軽く食事をしてから仮眠を。
記憶が定かではないが、2時間も経たずに起きていたのではないか。
病院でお願いしていたので、叔父からメールで母の写真が来た。
いや、最近は全然撮っていなかったのである。
昨年半ば強引に行かれた故郷での写真が良いかもと、いくつか選んでくれたのだ。
私はとりあえずシャワーで目を覚まし、出来る範囲で家を片付け始める。
12時前には姉も到着、色々とやりながら昼食を。
なにはなくとも、食べないと動けないのが悲しい現実である。
本当はもっと眠らないと動けないのも事実だが、これは短期間なら気合いでなんとかなる。
人数もいるしこの状況でまどろっこしいこともしていられないので、タクシーで病院まで。
正直この後しばらくの記憶がなく、思い出したら追記したいと思う。
夕方になり葬儀社との打ち合わせもあり、しばらく地下にて話す。
なんだかんだで19時過ぎになったか、今日も病院に母を残すことになってしまった。
まだ家がとても受け入れられる状況とはいえないので、ここは勘弁してもらう。
地上に出た瞬間にメールと不在着信通知、伯父と叔父からだった。
まぁ当たり前の話で、明後日には葬儀をしようというのだから遠方からだと手配が色々あるのだ。
その場で答えられることは全部答えて、そのまま帰宅。
姉たちには明日加勢してもらうこととして、私はとにかく出来る範囲で部屋を片付ける。
ゴミ出しのタイミングもあり、まぁ片付けるというよりは如何に隠すかといったところ。
ふと思い出して、いつものローソンへひとっ走り。
こういう事態に陥るとは思っていなかったので(当たり前)、Amazonの荷物が来ているのだ。
後回しにしておけという話だが、そうすると120%忘れそうなので今やる。
本日のブツは、ときめきメモリアル4 OFFICIAL ILLUSTRATIONS(AA)である。
当然見るのは後回し、しまうべき場所にしまっておく。
淡々と作業を続けて、あと連絡できるところは連絡をしておく。
一番難儀だったのは、遺影の背景選定だったかもしれない。
遺影自体は、結局父の七回忌の時のが一番「らしい」ということで満場一致だった。
細かいことを決めて、いい加減限界を迎えたと思ったところで休むことに。
とにかくここ数日はへばるわけにはいかないので、上手くセルフマネジメントだ。
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