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一息付く間もない
とりあえずたくさん寝ようと思ったが、結局7時には起きてしまった。
以降ごたごたと片付けごと、まだまだ休むわけにはいかない。
とはいえこれまでほど慌ただしくもないので、ある程度マイペースで。
昼頃まで洗濯などして、昼食後にあちこち連絡を取り始める。
なんだかんだで結構失礼もしていたりするので、改めてお礼の電話をするのだ。
ただ田舎の方なので大丈夫と思っていたが、意外にというか大半がつかまらず。
一巡したところで一度諦めて、棚上げになっていた車椅子の返却を。
包括支援センターまで押していって、世話になった方は席を外されていたのでお礼を伝えてもらうことに。
帰宅後はまた色々と、昨晩のうちに生活物資は発掘したのだが見栄えが良くないのでしまったり。
#実は祭壇の裏に着替えなどが全部入っていたので難儀した
んで夕方になってちょっと時間が取れたので、サクッと秋葉原へ。
目的地はJAMで、妖精さんの卒業を見送るのだ。
特にイベントと言う感じではなく、通常の延長線上で。
とはいえ折角なので、オムライスだけは頼んでみた。
少し話をして、今後とも頑張ってと声をかけて終了。
長居するわけにもいかないので、18時半には帰宅。
すぐに電話を再開、今度はあちこちつかまり始めた。
そんなこんなのうちに姉から電話、ちょっと驚くようなことが起きていたことを知る。
まずは私からお詫びを申し上げ、少し話を保留してもらうよう頼む。
取って返して葬儀社に連絡するが、この対応が最悪で久々に炸裂してしまった。
結局その人では処理できず、父の時も世話になった方が間に入ってくれた。
誤解が残るのは嫌なので、こちらの意図ははっきり説明して理解してもらうよう努力。
結局この話が終わったのが20時半、いい加減疲れるというものだ。
連絡ができていない中でまだ寝ていなさそうな所に電話して、とりあえずこの日は終了とした。
なんというか、余計なところで疲れてしまっている気もするがこんなものか。
2010年3月31日 44x1 | 個別ページ | コメント(0)
桜の下でお別れ
6時半には目が覚めてしまい、とりあえず平服のまま借りっぱなしの会場へ。
ろうそくに火を灯し、線香をあげてしばらく1人で考え事を。
8時半過ぎに姉到着、とりあえず私から着替えるので自宅へ。
とりあえず姉には待機してもらい、ついでなので昨晩書いた原稿を渡しておく。
んで着替えて戻ったのだが、ほとんど手が入っていなかった。
数点言葉遣いという面で赤ペンが入っていたが、それは私も迷っていた部分ばかりで。
というわけで、入れ替わりに私が待機しつつ原稿をざっと眺めて頭に入れる。
人に書いてもらうと無理だが、自分で書いたものはそれなりになんとかなるのだ。
10時過ぎに副住職(今日は1人だ)が見えたので、また挨拶に。
ざっくばらんに色々話される方なので、まぁ色々と気が楽である。
そして11時、告別式が始まる。
話し合いの結果、今日は私も普通に席に着くこととしたのでそんな感じで。
始まってしまえばあっという間であり、程無く最後の別れの時間に。
一通りの儀式が済んだところで、簡単ではあるが一生懸命考えた挨拶を。
そして出棺、今回は私は担ぎ手には回れないのでこれは見るしかないわけで。
昨日と打って変わっての好天の中(寒いのは変わらずだが)、霊柩車に乗ることに。
副住職まで入れて3台の車列で、桐ケ谷斎場まで進行。
随分混雑する道を通るのだな、などと思っていたら斎場手前で見事な桜並木。
母は本当に花が好きだったので、同乗していた姉と良かったと話す。
斎場は猛烈に混んでおり、うちと同じような形で日程を決めた方が多いのかなと思ったり。
いよいよ炉に入るというところ、ここもなんとか泣かずに堪える。
焼いている間は控室で過ごすこととなり、少しばかりだがビールなども注いでみたり。
色々な意味で私は心配され通しであり、なんとなく申し訳ない気がする。
そしてお呼びがかかり、母の遺骨と対面することに。
先程までの姿と全然違うわけで、なんとも現実味がないというかなんというか。
お骨を収めて葬儀自体は終了、そのままの足でごく近所に移動して会食を。
まぁこちらは基本的に段取りに乗って動けばいいので、余り困らない。
帰りの足などの打ち合わせが少しあったが、事前に話を回してあったのでそう問題にはならず。
1時間ほど母の話なども交えながらやって、またしてもノープランでお礼のあいさつにて締め。
姉・姪2人・義兄の父母と私が、料理店の車に。
あとはタクシー3台に分乗して、田町に戻ることに。
帰りの飛行機は最終便と聞いていたが、気を使ったのかとりあえず線香だけあげさせてくれと。
というわけでバタバタと人が入って出て、気付けばあっという間に終了。
本当はここで全て投げ出してしまいたいのだが、そうは行かないわけで。
お金とか色々なことがあり、ここでしっかりやっておかないと収拾がつかなくなるのだ。
義兄・姉・私と3人がかりだったので、そう大変でもなかったが神経は使う。
なんやかやで結局20時頃までかかったのか、子供たちも疲れているはずなのでとっとと帰した。
私も疲れたので、適当に食事を取って入浴は明日に回して休むことに。
2010年3月30日 44x1 | 個別ページ | コメント(0)
最後の夜
1時頃に床に就いたが結局寝入ったのは3時半過ぎ、んで7時半前には目が覚める。
まぁ眠くないと言ったら嘘になるが、色々やることはあるので。
すぐに会社に連絡、金曜深夜のことだったので当たり前だがここまで伝えられなかったので。
それからザクザクと家の中を準備して、一応顔を洗って姉たちの来るのを待つ。
いや、礼服はあったのだが合うYシャツが1着しかなく。
他にも靴下も1足しかなかったり、とどめは何故か靴が合わなくなっていた。
そんなわけで買い出しに行かなくてはならないので、その辺のやりくりである。
10時半頃に姉一家到着、しばらく支度をして11時半頃に後を頼んで私は家を出る。
田町で色々一気に調達できそうなところが思い当らなかったので、サクッと新橋まで。
洋服の青山でYシャツ・靴下とついでにTシャツも調達、あるかと思った靴はなくて困る。
ニュー新橋ビルには馴染みがあるので、確か靴屋もあったはずと行ってみると確かにあった。
サイズを相談するとちょっと・・・という感じになったが、1サイズ下で試してみることに。
#ちなみに最初に言ったのは28cm
どうやら普通に履けそうなので、さっさと支払いを済ませて箱は処分してもらい帰路へ。
30分で片付けるつもりだったのだが、結局帰宅したのは1時間近く経過した頃。
色々余裕がなくなっており、入棺が15時という目安だったので慌てる。
昨日に続いてみんな揃っての早食い大会、終わって礼服に着替える。
一応喪主なので、何をおいてもしなくてはいけないことだ。
ネクタイが久々で、長さの調整がなかなか上手く行かなかったのはご愛嬌。
#結び方は昔毎日鍛えていたので体が覚えている
設営の状況は随時義兄が見に行ってくれていたが、ちょっと遅れ勝手の模様。
なんだかんだで、結局お迎えが来たのが16時頃だったろうか。
粛々と納棺が進んでいくわけだが、さすがに最後に収める時は涙が出てしまった。
1人でいる時はともかく、人前ではなんとかしようと思っていたのだが。
納棺が済んで少しで、住職と副住職も控室としている自宅に到着しているということであいさつに。
色々と話しながら、今日明日のことについてよろしくお願いを。
一応自分で考えてお二方にも相談したのだが、一般の会葬の方にも礼を尽くしたいので焼香台近くに控えることとした。
寒い中立っているわけでしんどくないわけはないのだが、背を向けたり遠くからというのも失礼かなと。
それは良いことと言われ、そうすることとして後は姉に頼んで私は式場へ。
席次第は既に段取りを付けて義兄と叔父に話してあったので、上手いこと座ってくれていた。
#まぁ両家のどちらをたてるのかとかややこしい話があるのだ
んで私は予定通りに、入り口近くで待機。
18時の定刻に通夜開始、以降は流れるように。
なんだかんだで色々な方が来てくれて、ありがたいことである。
19時につつがなく終了、会食前に一度表に出てまだいらっしゃる方々には挨拶を。
会社関係でも随分心配されていたようで、特に同期が随分気を揉んでいたようだ。
色々あるがとりあえず大丈夫と伝えてもらうよう頼み、あとは周囲にも声をかける。
んで会食、ちょっと会場のスペースの目論見が合っておらずその影響で料理も余り気味。
その辺は上手く調整しながらやって、なんだかんだであっという間に21時近く。
締めということで、ノープランであったがとりあえずの一声で挨拶を。
アドリブが効かないので結構きつかったが、まぁなんとかなったのかな。
それから仕出し屋の撤収を見ながら、姉一家には着替えに戻ってもらった。
元々は姉と2人で線香番をするつもりで、私はずっとその気でいた。
随分長いなと思っていたが、姉が降りてきた。
母には悪いが、やはりいる人間の体調を優先するべきだと。
まぁその先には来てくださった方へ申し訳が立たないというのもあるのだが、そういうことで今日はここを閉めようと。
思うところは大いにあったわけだが、確かにかなりきつい状態ではあったので同意。
いや、昼前にも一波あったし会食中にも来たのだが気分がかなり悪かったのだ。
私がビールをちょろっとしか飲んでいない(体が受け付けない感じだった)と言えば、わかってもらえるだろう。
もう一つ言えば、姪たちもかなり辛い日々を過ごしているわけで休ませたいと。
そんなわけで明朝また来ると母に告げて、家に戻る。
余った料理を折り詰めにしてあったので、それを適当に分配。
4人を送り出した後、とりあえず風呂を沸かす。
この寒い日に吹きさらしの場所で立ち尽くしていたので、体が冷え切っていたのだ。
んで入浴しながら作文の時間、父の時はこんなに苦戦しなかったと思うのだが告別式での挨拶が浮かばないのだ。
文例のコピペだけはしたくないので、母のあった姿など考えながら。
結局風呂を上がって先程の折り詰めを突っつきながら、ようやくまとまってきた。
今回は姉に添削してもらいたかったので、一応走り書きで紙にまとめておいた。
#驚いたことに父の時は空で考えて全部そのまま喋ったらしい
そんなこんなで気付いたら、折り詰めを3つも空けていた(笑)
ちと食べ過ぎの感もあるが、食べずにぶっ倒れるよりは数倍マシである。
日付が変わるかどうかの頃に、休むこととした。
2010年3月29日 44x1 | 個別ページ | コメント(0)
時間との戦い
何時に寝て何時に起きたのか正直不明、恐らく2時間睡眠くらいだったのではないか。
昨日の積み残しの片付けを順次進め、そのうちに姉たちも合流。
15時に病院出発というのはFixなので、そこに間に合わせるようにとにかく急ぐ。
ただやることが多過ぎて(私の物が多過ぎ)、大変な騒ぎに。
ベランダにあって表に出しても問題ないものは移動、入れ替わりにベランダにダーッと物を出す。
布団やシーツなども準備、昼食もあったが食べ始めたのが13時半という状態。
当たり前だが落ち着いての食事とはいかず、早食い大会に。
なんとか間に合うように14時過ぎに家を出て、またしてもタクシーにて病院へ。
霊安室にてまたしても母と対面、手筈通りに15時に病院を出ることに。
母に同乗するのは私だけ、あと姉と姪2人は叔父の車で。
義兄が留守番している家に帰着、結局3/8の朝に家を出たっきりここまで来てしまった。
母を横たえて色々と準備、あとはまったりとと言いたいところだがそうも行かず。
親戚関係の宿泊についてもめて、相変わらずの伯父の使えなさに正直落胆。
余り遅くならないうちにということで、順次送り出して22時頃に1人になったのかな?
母がこの家にいるのも今晩が最後なので、本当はずっとろうそく番でもしたかったがやはり体調優先。
結局1本燃え尽きるまで起きていて、休むこととした。
2010年3月28日 44x1 | 個別ページ | コメント(0)
現実の認識を
心拍がなくなったと電話が着信したのが昨日23時28分、恐らく10分経たずに病棟に到着したはず。
ナースステーションで別室に案内され、母に対面。
まぁ聞いた通りであり、既に手の施せる状態ではない。
というか、姉と私の合意で無為な延命行為はしないということを取り決めていたので。
5分ほどは茫然と手を握っていたと思うが、後に延ばすと色々厄介なので死亡確認を依頼。
結局この時間が死亡診断書に記載されるわけで、2010年3月26日23時47分ということになった。
姉にも連絡が行っているのは聞いていたが、一応現状確認のため電話。
医師も看護師も一時退室して、しばらくは母と私だけに。
とにかく色々な思いが渦巻くが、形にはならない。
姉達が到着するまで1時間ほどかかったと思うが、そんなに経ったとも思えず。
既に点滴の管やら酸素マスクは外してもらっており、普通に対面だ。
姉も相当辛かったようだが、姪2人が見ていられない状態だった。
ずっとやり取りしていた仲の人が天に召されるというのは初めてのことのはずで、恐らくはかなりの衝撃だと。
ただ、これは多分すごくいい経験になるはずだと思う。
私は父方も母方も含め祖父母と余り話したこともなく(遠方なので)、亡くなったと言われても実感がなかった。
時間的にどうかとも思ったが、一応叔父(母のすぐ下の弟)と伯父(父のすぐ上の兄)には連絡。
しばらくはそのまま居たわけだが、この後のことも考えなくてはいけない。
色々な支度を看護師さんにお願いして、我々はカンファレンスルームへ。
ここで泣き続けていても仕方ないので、少しは軽い話題なども話したり。
結局1時間ほど経ったろうか、ようやく呼び戻された。
#週末の深夜で手薄なはずなので時間がかかるのは仕方ないのだ
薄化粧をされた母はきれいなもので、これまでの苦しみが嘘のようであった。
そんなこんなをしているうちに、この時間だと言うのに叔父も駆け付ける。
もう霊安室の方にも連絡が行っており、程無く迎えが来る。
荷物もまとめて全員で移動、父が亡くなったのが2002年の10月だからほぼ7年半ぶりだ。
こんなところの勝手を知りたくもないが、ある程度わかっているのが悲しいところ。
安置されて線香をあげて、私が色々事を進めねばならないので話を。
どうやら前回と同じ葬儀社がやってくれるようで、ちと思うところはあるが伝手もないので任せることに。
友引が絡んだり、父母とも宮崎の人間なので親戚の出てくる都合など考えて日程をまず決める。
結局通夜を29日、告別式を30日ということとした。
細かい打ち合わせは翌日ということとして、時間も時間なので引き上げることに。
本当なら誰かしら残ってやりたいところだが、倒れては元も子もないので詫びながら退出。
結局家に帰り着いたのは4時半前というところだろうか、それどころではないのだがゴミはあるので5時にはゴミ出し。
さすがにしんどいので、軽く食事をしてから仮眠を。
記憶が定かではないが、2時間も経たずに起きていたのではないか。
病院でお願いしていたので、叔父からメールで母の写真が来た。
いや、最近は全然撮っていなかったのである。
昨年半ば強引に行かれた故郷での写真が良いかもと、いくつか選んでくれたのだ。
私はとりあえずシャワーで目を覚まし、出来る範囲で家を片付け始める。
12時前には姉も到着、色々とやりながら昼食を。
なにはなくとも、食べないと動けないのが悲しい現実である。
本当はもっと眠らないと動けないのも事実だが、これは短期間なら気合いでなんとかなる。
人数もいるしこの状況でまどろっこしいこともしていられないので、タクシーで病院まで。
正直この後しばらくの記憶がなく、思い出したら追記したいと思う。
夕方になり葬儀社との打ち合わせもあり、しばらく地下にて話す。
なんだかんだで19時過ぎになったか、今日も病院に母を残すことになってしまった。
まだ家がとても受け入れられる状況とはいえないので、ここは勘弁してもらう。
地上に出た瞬間にメールと不在着信通知、伯父と叔父からだった。
まぁ当たり前の話で、明後日には葬儀をしようというのだから遠方からだと手配が色々あるのだ。
その場で答えられることは全部答えて、そのまま帰宅。
姉たちには明日加勢してもらうこととして、私はとにかく出来る範囲で部屋を片付ける。
ゴミ出しのタイミングもあり、まぁ片付けるというよりは如何に隠すかといったところ。
ふと思い出して、いつものローソンへひとっ走り。
こういう事態に陥るとは思っていなかったので(当たり前)、Amazonの荷物が来ているのだ。
後回しにしておけという話だが、そうすると120%忘れそうなので今やる。
本日のブツは、ときめきメモリアル4 OFFICIAL ILLUSTRATIONS(AA)である。
当然見るのは後回し、しまうべき場所にしまっておく。
淡々と作業を続けて、あと連絡できるところは連絡をしておく。
一番難儀だったのは、遺影の背景選定だったかもしれない。
遺影自体は、結局父の七回忌の時のが一番「らしい」ということで満場一致だった。
細かいことを決めて、いい加減限界を迎えたと思ったところで休むことに。
とにかくここ数日はへばるわけにはいかないので、上手くセルフマネジメントだ。
2010年3月27日 44x1 | 個別ページ | コメント(0)
母逝去
2010/03/26 23:47
母が息を引き取る。
急な心停止につき、最期を看取ることはできず。
2010年3月27日 44x1 | 個別ページ | コメント(0)
微妙な日
本格的に寝ようとしていなかった時に寝てしまったようで、気付いた時は5時。
薬も飲んでいなかったし改めて寝ようと思ったが、ゴミ出しを忘れそうだったのでまずは処理。
なんとなくお腹も空いたので、とりあえず早いけど朝食をすませてしまうことに。
食べ終わって薬を飲んで、昼頃にアラームを掛けて改めて寝る。
そうしたらアラームの前に携帯の着信で起こされ、なにかと思ったら親戚であった。
#ちょっとややこしい間柄だが昔からよく行き来している
病院に居るとのこと、昼食を一緒にと言っている。
本当は病院には遅めに行くつもりだったのだが、緊急出動と相成った。
行く前にやっておこうと思っていたことが数点あったが、とりあえず大部分はパス。
それでも最低限のノルマがあったので、それを済ませたら結局13時到着とか。
随分待たせてしまったことを詫び、早速病院内のレストランへ。
#先日も来たところだ
オーダーしてしばらく話し、食べながらもあれやこれや。
食後のコーヒーまで済ませて、会計をと思ったら伝票を持って行かれた。
ご馳走になるならもう少し控え目なものにしたのだがと思いつつ、お礼を。
病室に戻って暫し話し、そして帰っていかれるのを見送る。
あとはいつもの感じ、母に特に異常もなくまったりと17時頃まで。
それから帰宅だが、昨日よりは雨が多かった上に運行案内が確認できることを知ったのでチェックの上ちぃばすに。
田町駅前まで乗車、いつもの書店を覗いて欲しいものはあったがとりあえず見送り。
帰宅して、のんびり夕食の支度。
と言っても、カレーが山ほど残っているので米を研いで炊飯器にセットするだけ。
色々余計なことをしていたら、結局食べ始めが20時半とか。
食べ終わってからTSUTAYAへ、借りていたDVDを返しつつまた借りる。
帰りにいつものローソン、またしてもAmazonの買い物。
本日は、「とある科学の超電磁砲」アーカイブス1(AA)だ。
持ち帰ってのんびりやって、ボチボチ風呂でもと思ったら携帯に電話。
2010年3月26日 44x1 | 個別ページ | コメント(0)
軟着陸
相変わらずの妙な寝方で恐らく3時近くに就寝、一応8時半のアラームでは起きられた。
のんびり朝食を済ませ、慌てることなく身支度やらあれやこれや。
今日は自分の通院からなので、適当に時間を調整するのだ。
なんだかんだで10時頃に家を出て、現金の持ち合わせが少なかったので銀行に寄ってから駅へ。
田町~渋谷~高津と移動して、病院到着が11時と言ったところ。
前回とは違い少し待ったのだが、なんとなく様子が違う。
いや前回は月曜でイレギュラーだったのだが、それまでの通常とだ。
んで良く考えたら、元々は金曜に通っていたことを思い出す。
#違和感の原因は金曜には居ないはずの医師の姿を見たこと
その後ふと見ると、明日(金曜)は私の主治医が休診である旨の張り紙。
前回来た時は見かけなかったと記憶しており、偶然ではあるが運が良かった。
ちなみに私の主治医は、月・木・金・土が診察日である。
仕事をしている時は当然土曜だったのだが、混むために金曜にしたのだ。
#恐らく以前のエントリにその辺は書いたはず
呼ばれて診察室へ、まさに前回の受診日当日から環境が激変したことを伝える。
その上で寝付きがものすごく悪くなっていること、寝てしまえばそれなりの時間継続して眠れることを。
それを踏まえて、睡眠導入に効く(今も飲んでいる)薬を一段増量することに。
相当久々に処方をいじったはずで、どうなるか。
気力の欠如や色々な形の体調不良については、精神的な部分も考えられるということで一旦保留。
前回出た診断書が3月一杯の休養という内容だったので、今回は休養続行で出た。
まぁ今の状態で(母の問題は抜きにして)働けるとはとても言えないので、仕方ない。
診察終了後会計も済ませ、鬱陶しい雨の中薬局へ移動。
こちらは大して待つことなく、サクッと終了。
ちょうど昼になったので、なんとなく恒例になっている餃子の王将で昼食。
ほとんど待たずに入店してサクッとオーダー、とっとと食べる。
タイミングが良かったようで、食べている間にえらい待ち行列ができていた。
会計を済ませて退出、今度は母の病院に向けて溝ノ口~新橋と移動だ。
利便性的には川崎に出た方がはるかに良いのはわかっていたが、試してみたかったので武蔵小杉から横須賀線に。
聞いてはいたが歩くこと歩くこと、これを同じ駅と言って良いのだろうか(笑)
タイミングが悪く成田エクスプレスと湘南新宿ラインが挟まり、乗る電車は随分後であった。
新橋に到着後、いつもの感じで歩いて病院へ。
一応平日の面会時間は14時からなのだが、家族ということもあるしそもそも今日は重要な用件があるのでそのまま入る。
ナースステーションで名前を告げ、師長さんに会う約束がある旨伝える。
病室で待ってくれということで移動すると、もぬけの殻。
移動したのかと聞きに戻ったところに、当の師長さんが。
カンファレンスルームに入り、開口一番全面謝罪モードに入られた。
まぁ経緯からすると当たり前と言えば当たり前なのだが、ちょっと安心。
事態を整理するため、今一度こちらから全ての経緯を説明。
ここに至ってもまだ引き継ぎ漏れがあったようで、知らなかった事実があったとのこと。
どの時点でどの話をして、どういう対応をされてここまで来たかを丁寧に説明。
一応話をトレースできるようにということで、個人をあれこれ揶揄するためではないことを念押し。
先方の説明も大体済んで、このあとすべき(してもらうべき)ことを2点挙げる。
これは別にこちらから言った話ではなく、先方が提示した話を承認したまで。
一方は30分ほどで回答できるとのこと、もう一方は少し時間がかかると。
後者については当たり前の話なので、これまでのように話が宙に浮かぬよう随時報告を依頼。
補足として主治医にも確認するということで、細かい話も聞かれた。
そして改めて移動先の病室へ、あとはいつもの感じ。
予告よりは遅れたが、1時間は経たぬ頃に先の話の報告。
案の定の結果で、まぁ問題がなければあっという間に済んだ話だったということだ。
もう一度病室に戻り、着替えさせてもらったようなので洗濯のため持ち帰る用意を。
17時頃まで病室で過ごし、帰ろうとしたところ師長さんと主治医が話していた。
そんなわけでそこに加わって少し話し、この件は何も心配しなくて良いと心強い言葉を貰う。
改めて帰るモードに入り表に出て、雨は降っているものの大した雨脚ではない。
昨日の反省を生かして、ちぃばすは使わずに徒歩で家を目指す。
17時半には帰り着いたのだが、なんとなく色々やる気が出ず少し休憩。
んで夕食の支度だが、3日連続でパスタだったのでさすがに切り替えを。
前回作ってから余り経っていない気もするが、気分と在庫の食材からカレーを作ることに。
材料を出しているところに宅配便到着、そう言えば出掛けにトラッキングを見て夜に回してくれと頼んでいたのだった。
来たのはここのところずっと悩んでいた、CR-D2だ。
種を明かせばアウトレット品であり、格安だったのだ。
とっとと開封したいところではあったが、とりあえず食欲の勝ち。
いつものことだがとにかく支度が遅くて、なんだかんだと終わったら20時半を回っていた。
しかも米を炊くのを忘れており(!)、食べるのは更に後に。
仕方ないので姉に昼間の話を報告するため電話、大体了解ということ。
今後の連絡は姉でも私でもどちらに伝えても構わないと告げたことを伝え、情報共有することに。
いつものことだがそこそこ長話になってしまい、終わった頃には炊飯も終わった。
食べ終わって満足したところで忘れていたことに気付き、いつものローソンにひとっ走り。
またしてもAmazonの荷物で、涼宮ハルヒの憂鬱 5.999999 (第8巻) 限定版(AA)である。
帰宅してこれまでのコンポを撤去、新しいのをセットアップ。
そして電源投入、軽くPCでMP3など再生させてみた。
するとびっくり、こんな音が出るの?という感じ。
高々128kbpsのMP3でこれでは、と昨日回収したCDも掛けてみる。
これもなかなか、手配の都合上スピーカーはこれまでの流用なのだがおかげで違いがはっきりわかった。
ここまで解像度の高い音を期待しておらず、逆に言えばこれまで眠い音を聴いていたのだなと。
この先スピーカーを入れ替えるのが楽しみ、ちょっと贅沢をしたい気もしたり。
あとはちょっと音楽を聴きながら作業、適当なところで眠気が来た。
明日は特に早くから動く必要もないので、まったりとやろう。
2010年3月25日 44x1 | 個別ページ | コメント(0)
良好~劣悪~極悪~復旧
どうもここのところ薬を飲んだあとも寝付きが悪く3時過ぎ就寝、7時半にアラームが鳴ったはずなのに気付いたら8時半。
いや、正確に言えばちゃんとアラームは鳴ったし止めた覚えもある。
単純な二度寝、色々と描いていた絵図が崩れかける。
ただ特急で色々こなせば逆に良い感じになりそうだったので、とりあえず朝食は後回しでシャワーを。
#昨晩サボったので
ザクザクと身支度して、家を出たのが9時10分にはならないくらいか?
田町~秋葉原と移動、読み通りでヨドバシカメラのエントランスに着いたのが開店2分前。
平日の朝だがそれなりに客がおり、でもがっついているのは私くらいか(笑)
色々後がつっかえているので、開店と同時に速攻で6階まで上がってゲーム売り場へ。
向かうのは書籍売り場、遠目で見ても獲物はすぐに分かった。
ただ、想定以上に数が少なく恐らく5~6点しかなかったのではなかろうか。
というわけで(?)、捕獲したのが電撃ラブプラス Vol.2 小早川凜子(AA)である。
当初の予定では開店直後のゲーマーズにて確保する予定だったが、こちらにしたことでポイントを全ツッコミできた。
手出しはなんと130円くらいで、笑っちゃう話である。
もう今日は秋葉原に用はない(正確にはあるがその暇がない)ので、とっとと撤収。
すぐさま駅に戻り、改札へ。
ちなみに改札を出てから戻るまでが6~7分だったようで、恐らく人生最短の秋葉原滞在(笑)
秋葉原~田町と移動、銀行も回ったのだがここまでして帰宅しても10時になるころだからびっくりだ。
遅めの朝食を軽く済ませ、まず第一のミッションを。
電話で色々と説明、先方も確認事項が多いようで折り返すとのこと。
第二ミッションもあるのだが、これで電話が埋まっていると面倒なのでとりあえず待機。
しばらくで電話、大体想定通りの回答であった。
必要となるものを教えてもらい、規定の書面に則って書く必要のあるものはそれを貰いに行くことに。
どちらにしても病院には行く(第三のミッション)ので、その時に取りに行くと告げておいた。
続いて電話、こちらは旧来の役所仕事的な感じで大層印章の悪い応対であった。
杓子定規で剣呑な回答が来たので、こちらも深追いせずに必要書面を送るように依頼して終話。
なんとなく体調はまだ万全ではない感じなので休みたいところだが、引き続き稼働。
適当なところで昼食を済ませ、時間を見て家を出る。
まずは第一ミッションの件で寄り道、書面を受け取ってついでに追加の質問を。
こちらはすごく丁寧な対応を貰って、この辺は同じ公的機関の出でも違うなと思ったり。
そのまま母の病院に向かうこととして、今日から走り出したちぃばすの新ルートに乗車。
いや、晴れていればいつも通りに歩いて行くのだがこの天候なので。
バスが来るまでは少し待ったが、乗ったあとは想像以上に早くて10分ちょいで目的地に。
すぐに病室へ移動して、用向きがあるのでナースステーションへ。
ここからがイライラモードのスタート、担当看護師が行くまで病室で待ってくれというので待機。
忙しい中だと思うのでじっと待っていたのだが、さすがに1時間半を過ぎようとしてしびれが切れた。
再びナースステーションへ、名前を告げた瞬間に先程居合わせた看護師が事態を把握したようで「あっ」という顔に。
別に忘れられてたわけではないだろう(と思いたい)が、慌てて居場所を探し始めたようだ。
もう一度病室に戻ってもう少し待機、んでようやく待ち人来たる。
しかしながら最初のリアクションから腰が抜ける感じ、何を聞いてきたのやら。
話を進めれば進めるほどに腹が立ってくる、いくらなんでも常識を知らなさ過ぎだろう。
先週告げた時点でしっかりアクションを取ってくれていればまだ許せたが、余りにも呑気過ぎる。
医療行為以外はどうでもいいと思っているなら、お門違いもいいところだ。
事細かに話を進めていくが、とにかく暖簾に腕押し・糠に釘。
延々と話を続けた結果が、責任者に・・なので絶句。
最初に趣旨を告げて責任を持って話せる人をと伝えたのに、結局これである。
明日の対応では遅いですかと聞かれたものの、否と言って何か良いことがあるわけでもなく。
一応承諾したものの、ちと釘は深々と刺しておいた。
あとは部屋の片付け等して、いい加減精神的に疲れたので18時前に撤収。
ここからイライラモードステージ2、帰りもちぃばすに乗ろうと思い停留所へ。
タイミングの良いことに5分も待たないで来る設定になっており、待機。
しかし、一向にバスが来ない。
このルートは20分に1本のダイヤなのだが、結局40分待ったところで我慢できなくなり。
停留所に営業所の電話番号があったので、携帯で電話。
どうやら運行状況の管理はしているようで、渋滞が影響の云々言っている。
しかしこのルートの反対方向は既に3本過ぎており、そもそも20分サイクルで動いていればこういう事態はないはず。
こちらも要領を得ない対応に、もう嫌になってきた。
これだけ待つとわかっていれば、少し移動するだけで地下鉄に乗れたわけで。
埒が明かずに矛を収め、イライラしたままでようやく来た(45分待ち!)バスに乗る。
田町駅前まで移動して降りて、いつものローソンへ。
Amazonで買ったCDが3点到着しているので、回収なのだ。
CHANGE(初回限定盤)(AA)・LINKAGE(初回限定盤)(AA)・THE IDOLM@STER STATION!!! FIRST TRAVEL(AA)だ。
アニメ・ゲーム関係のCDに埋もれがちだが、私も普通のCDは聴くのだ(笑)
まぁレンタルで済ませるものが多いのは事実だが、買うものは買うと。
帰宅後はまず夕食、んで姉に色々と連絡を。
なんだか後半は愚痴大会になっていた感もあるが、まぁ仕方なかろう。
さて、明日は看護師さんの宿題を回収せねばいけない。
というか、そもそも自分の通院があるのだった。
今回は診断書を出してもらわなくてはならないので、ちょっと面倒かな。
2010年3月24日 44x1 | 個別ページ | コメント(0)
もう一歩
安定して睡眠に入ったのが(推定)2時、起床は目覚ましをすっ飛ばしたらしく8時半。
ゴミ出しが・・・と思いつつ、既にゲートが閉まっていたら色々アレなので一度偵察に。
まだ出せるようだったので、改めてゴミを持って出る。
仕切り直して朝食、終わってやはりまだだるい。
午前中は潰して体力回復に努め、昼からは通常モードに。
昼食を済ませて身の回りの雑事を済ませ、なんだかんだで15時近くに病院へ。
到着してすぐに母の様子を聞いたり、部屋を移る話の進捗を確認したり。
先週末から同室の人に色々問題がある感じで、どうもイライラする私である。
ここに書いてしまうと自分としても不本意なので、イライラしたという事実のみ記しておく。
長居してまた体調を崩すのもいけないので、18時前には病院を出る。
今日は特に寄り道もなく、まっすぐに帰宅。
母が着替えさせてもらっていたので、洗濯からである。
洗濯機を回しながら姉と電話会談、色々と先送りにしていた問題を洗い直す。
基本的に私の宿題ばかりであり、明日はキリキリと動かねばなるまい。
時間の猶予はどんどんなくなっていっているはずなので、肝に銘じておこう。
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