嵐&ちょっと一息&方針変更
前日書いた通り酷い時間を過ごしてようやく寝られると思ったが、1時間も経たない4時半に起こされる。
またしても素っ頓狂なことを言われるが、この時点ではまだ冷静さを維持していた私。
私の動きについてしっかり伝えて、8時までには起きると言ってもう一度横になる。
流石に自分も薬を飲んだりしている状況なのですぐに寝入るとは行かず、恐らく5時頃に眠りに落ちたかと。
しかし6時前にまた起こされて、話を蒸し返した上に自分ルールを強引に押し付けようとされて流石に厳しい状況に。
とにかく眠らないと頭がおかしくなりそうなので、最低限のことだけ伝えてそのままの体勢を維持。
ここで罵詈雑言や色々問題のある発言があり、流石に流せなくなったので起きて言われていたことをする。
ついでなので認識の間違っていることを丹念に確認して家に戻り、並べ挙げて説明。
少しは納得したようで、このあとの動きの為9時に起きると伝えて横になる。
しかし結局7時過ぎまでは意識があり、そして8時45分には目が覚めていた。
要はほとんど眠れていないということで、正直しんどかった。
朝食は飛ばすことにして9時半まで横になり体力温存、そこからようやく起動。
母の身支度開始を手伝って、自分で動いている間に私の身支度を。
これはあっという間に済むので、また母の助けに戻る。
というわけで、今日は歯科のために水道橋の病院に行くのだ(2009/12/28のエントリ参照)。
電車での移動に致命的な問題点があるので、福祉キャブを利用だ。
予約したのは明日使うのが先なのだが、まぁ色々あって本日初利用となった。
説明から普通のタクシーが来るものだと思い込んでいたのだが、建物の玄関まで出てびっくり。
停まっていたのは1BOXの車、しかもリフト付きであった。
10時半の予約だったのだがここに出たのが10時15分、しかし既にドア開放で待機中。
時間の割り振りに辛い部分があったので、渡りに船である。
すぐに乗せてもらい(私は手放し!)、私は添乗用の席に。
今回の行き先はそこの営業所でも初めてらしく、色々聞かれた。
私も車で行くのは初めてなので、インターネットで調べたことを間違っているかもと断って伝える。
出発したのが10時20分過ぎ、すぐにこの時間に出られて助かったと思う。
運転手も言っていたのだが、昨日までと明らかに車の流れが違うと。
私もこの辺を運転したのは随分前だが、平日のこの時間帯にしては渋滞がきつい。
そんなこんなで皇居前を通過しつつ、水道橋の目的地まで。
一応私の下調べ通りの位置に車の入り口があり、乗り入れてもらった。
#前に居てちょうどそこに入ったプリウスに感謝
立地の都合上ちょっと変な所で降ろしてもらうことになったが、まぁ問題無い。
感謝を述べて料金を払って下車、病院の中へ。
以降事務的なことは全部私が担当、受付を済ませたのが予約した11時より少し前と上出来である。
待合室から診察室へは車椅子から降ろして付き添うつもりだったが、それ用の部屋があるらしくそのまま移動。
流石に診察用のチェアへは私が介添えして移したが、非常に助かったのは事実。
福祉キャブも含め、改めて起きてからの流れには助けられた。
それからは待機なので、心配していた姉に一応の連絡を。
んで待合室で座っていたが、ぼんやりすると眠くなるので携帯をいじったり。
すると医師が出てきて呼ぶので、行ってみる。
今の状況を確認して治療の方向性についての話、母の状態については話していたし理解してもらっている。
なわけで私の想像を離れないような対応となり、以降すこしすり合わせてとりあえずの落着点を設定。
医師は診察室に戻り、私は再び待機。
12時ちょうどくらいに呼ばれて診察室へ、んで車椅子に母を戻す。
最後に少し医師と話し、今後のことについて伝えておいた。
かなり親身に話をしてくれる人なので、信頼に値すると思う。
カルテを受け取って会計に出して待つが、母がトイレに行きたいと。
しかしこのフロアには車椅子対応のトイレがなく、別のフロアに移動しないとダメらしい。
切羽詰ってはいないようだったので、会計が済むまで待ってもらった。
会計はびっくりするほど安く、なんだか申し訳ない気分になったりも。
んで用を足して病院の用事終了、帰宅手段は迷っていたが結局通常のタクシーを選択。
JR水道橋駅の前のタクシー乗り場でお願いして乗せてもらい、移動。
目的地の我が家は結構有名なランドマークのすぐ脇なのだが、最初伝わらなくて当惑。
車に乗っていればわかるような説明をしたら、意外な回答が来てちょっとびっくり。
私より少なくとも一回りは年上であろう個人タクシーのドライバーだが、新しい呼び名しかわからないか。
道中に特に問題無し、強いて言えば若干流れが悪かったか。
あぁ、それ以上に車内が暑かったのが問題か(苦笑)
車内で上着を脱ぐのも一仕事なので我慢したが、ちょっときつかった。
14時ちょい過ぎに自宅に戻り、料金を払って下車。
結局なんだかんだで一番大変だったのは家の出入りと言う事実、まぁこれは現時点では仕方ない。
ようやく落ち着いたところで姉にもう一報入れて、安心してもらっておいた。
昼食がまだだったが面倒だったので、別件を片付けるついでに食パンを買ってきた。
んでコーヒーを入れて食事、程無く終了。
15時位にもう限界(既に到達していたが)だったので、眠らせてもらうことに。
母も疲れていたらしく、同じように寝ていたらしい。
18時頃に目を覚ますと、母も同じようにしていた。
そして昨日の晩と同じような展開となったが、まぁ2度目なので落ち着いて対応。
すぐに夕食にしようかとも思ったのだが体がついてこず、1時間ずつ寝落ち。
#結局通算で5時間近く寝たことになる
結局20時前にようやく動ける状態になり、いい加減限界だと思ったので私が自発的に夕食の支度を。
これまでは母の自尊心を尊重して極力母が自分でやるようにしてきたが、ここ数日で無理だと悟った。
というわけで、簡単だが1から10まで私だけでやって母に出すのは初めての夕食。
#入院中とかは自分で適当にやっていたが意図的に封印していた
食べ終わって片付けて、風呂の準備を。
母を入浴させ、着替えを手伝って終了。
精神的に悪い影響もあるのだろうが、私が主導権を握っていかないとデメリットばかりが大きくなってきた。
そんなわけで、瞬間的な負荷は増えてもトータルでなんとかなると思う(思いたい)。
さて、明日は本筋の主治医のところに行かなくてはいけない。
年末の検査の結果で色々話があるはずで、どうなることやら私もまだわからない。
怖い気もするが、一人でグダグダ考えても何も生まないのでそこからスタートだ。
とにかく、片付けを済ませたら寝るとしようか。
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